2017年7月4日

網膜剥離の裏側で 〜(4)ビジョンクエストだった

ガイド霊たちが言った通りで、この後、私は完全にコントロールを手放し、特に何もしなくても絶妙なタイミングで全てがアレンジされ、処理されて行くことになる。

翌日、タッチドローイングの創始者デボラと一緒に昼食をとることになっていたが、これも完璧なタイミングだった。フェリーターミナルで出迎えてくれたデボラに真っ先に目のことを伝えると、彼女はいてもたってもいられないほど気になったらしく、レストランで食事が運ばれてくるのを待っている間、眼科に連絡してくれた。

すると、眼科は1時間後にたまたま空きがあるという。アメリカでは完全予約制のため飛び込みで診てもらうのは難しいが、運良く空きがあるとは! 小さい島のこじんまりした所だったのがかえって良かったのかもしれない。昼食を食べながらデボラと話をしていると、そこは彼女がかかりつけのクリニックではなく、たまたまあるイベントで出会った女性の婚約者がその眼科医で、突然その女性の顔が浮かんだだけだとのことだった。


どこの眼科でもそうだと思うが、まず視力を測ろうとする。しかし、私の場合、目の前は真っ黒で、わずかに視界のヘリの方で助手が動いているのが見えるだけである。

「なぜこんなになるまで放っておいたの?」と、目の状態を調べた後、悲しそうに首を振りながら私に尋ねるドクターに、「旅行中で移動が多くて眼科に行き損ないました。あと数日で日本に帰るので、帰ってから病院へ行こうと思っていました」と私は説明した。

ドクターはとんでもないという顔をして言った。「おそらく網膜剥離だね。かなり剥がれているようだが、まだなんとか救いようがある。病院を紹介してあげよう。ところで、シアトルの前はどこにいたの?」

「ノースカロライナです」

するとドクターは身を乗り出して、「ノースカロライナのどこ?」と尋ねた。
「ローリーのあたりです」

「おお!私はここに来る前そこに20年くらいいて、診療所を持ってたんだ。家族がそこに住んでいて、娘の子供が生まれたので、来週会いに行くことになってるんだよ」

不思議な気持ちになった。広大な大陸に無数の街があるのに、よりにもよってローリーとは。

彼は「私が紹介するドクターはハーバード・メディカルスクールを卒業した優秀な人で、彼と昔一緒に仕事をしたんだ。腕もいいし勤勉で、安心して任せられる人だよ。私が今から彼に電話をしてあげよう」と言い、診察室を出て行った。

すぐに連絡がつき、翌日の手術のスケジュールにもう一人くらいならどうにか入れられるということで、即手術日が決まった。私はこのスピード展開に驚いた。デボラに会って3時間後には、私は翌日の手術の準備のため、シアトルに戻るフェリーの中にいた。後で知ったが、執刀医は毎日手術をしているわけではない。しかも、病院は網膜専門だったので、これも完璧だった。

日本へ帰るまで引き延ばしていたら、私は失明していたかもしれない。デボラのおかげで眼科に行け、眼科医のおかげで手術が決まり、執刀医のおかげで私の目は救われた。手術は痛みなど全くなく、網膜は綺麗にくっ付いた。

夫は私の手術に付き添い、彼自身も滞在を延長して私の術後の世話をしてくれた。たくさんの人が、私のために祈りとヒーリングのエネルギーを送ってくれた。術後は夫の友人夫婦のお宅でお世話になったが、ご夫婦ともに親身になって世話をしてくれ、5日間ずっとうつ伏せにしていないといけない私のために、奥さんはマッサージ師の友達からマッサージチェアまで借りてくれた。おかげでうつ伏せはそれほど苦痛ではなく、私は自分の家にいるように心地よく、安心してゆったりと過ごすことができた。

デボラは後日私にサウンドヒーリングをしてくれ、マッサージをしてくれた私の友人は、術後の経過の関係で滞在がさらに延びた私を迎え入れ、どれだけいても良いよと言ってくれた。

帰国日が大幅に変更になったが、航空会社は無料で変更してくれた。高額な医療費は、クレジットカードに付帯の海外旅行保険で全額補償されることになった。

ただ流れに任せると、次々と事が運んで行く。それも、祝福されているかのように心地よく運んで行く。「あの時約束しただろう?私たちは約束を果たす。信頼して委ねていいのだ」と、ガイド霊たちの声が聞こえてきた。

私は宇宙に愛され、たくさんの人々の愛に包まれ、有難くて胸がいっぱいになった。


日本に戻ってからも術後のケアは続いており、見え方はまだ以前のようではないが、毎日が楽しい。

朝起きると、その日やりたいことが衝動となって浮かぶ。それに従って過ごす時間は充実している。創作に集中する日。ジムで思い切り体を動かす日。自然の中でぼんやりとする日、など。

掃除が楽しい。アイロンがけが楽しい。買い物が楽しい。料理が楽しい。食べることが楽しい。片付ける、処分する、捨てる。これまでになく、家の中が整ってきている。

今まで使ったことのない食材や新しいレシピをトライする。寝る方向を変えた。作業机を別の部屋へ移し、窓の障子を取っ払った。机に向かうと正面に見えるのは生命力あふれる緑。全開した窓からは心地よい風が吹き込み、鳥のさえずりが聞こえる。

何もしなくても、座っていても、立っていても、よろこびがふつふつと湧き起こる。地味な日常が、温かく豊かな色で彩られる。

頭の中にスペースができればできるほど、内なるアンテナの感度が高まり、微細な感覚がキャッチできる。すると、これまでは感じなかったことに対して、明確な違和感がやってくる。耳を傾けていると、うごめく思考の中に、自分の思い込みや相手の思い込みが見えてきたりする。私はこれは選択しない、あれは興味がないというのが、今までよりはっきりしてきた。

執着しない。無理に動かない。損得勘定をしない。問題視しない。敵視しない。
答えがよりシンプルになってきた。

内なる衝動が私の体を動かす時、元をたどるとその衝動は、私が自分の中に観た宇宙と繋がっている。何もない空間で息づく星々、ゆっくりと回転する銀河。それらは今この瞬間も、私の中にある。私は気づいていてもいなくても、まだ出会っていなくても、常にそして既に、たくさんの人々やスピリットと繋がっている。

生まれ出てゆっくりと回転する銀河のように、私は人々とスピリットとともによろこびの創造を織り成す者として生きることを選択する。

昨年、オジブエ族の長老メディスンマンが私に「2月にスピリットがあなたに触れるだろう。その時あなたはわかるだろう」と言ったことを思い出した。2月末に夫が「いっそ暖かくて雨のないアリゾナへ行こうか」と言った時、私の中で何かがピンと鳴り、心臓が高鳴ったのだった。スピリットは確かに私に触れたのだった。

目の中の真っ黒な闇は、天からのギフトだった。私にとって、網膜剥離は古い私を脱ぎ捨てて次へ進むための「ビジョンクエスト」だったのだろう。

宇宙の割れ目の向こうからあらゆるものを観ている目は、無限への扉へと私を誘う。

そして、成長のプロセスは、大小様々な終わりと始まりを繰り返しながら、さらに続いていくのである。   

<終わり>




今回のこの道のりを伴走し支え続けてくれた友人の伊藤真由美さん、サポートしてくれたすべての方々に感謝します。